佐藤愛子『九十歳。何がめでたい』

実家の京都・祇園の“ろおじ(路地)”には、ご近所におじいちゃんやおばあちゃんがたくさん住んでいました。京都の“ろおじ”は、細長い道に面した家々が共同で使う、いまでいう公開空地のようなもの。公共の場でありながら、数戸の共同体が管理する場でもあります。そこで小さい子どもが日曜の朝に大声で騒いで遊んでいると、必ず同じ“ろおじ”のおじいちゃんやおばあちゃんから叱られたものでした。

わが家にも曾祖母や曾祖父が一緒に住んでいて、可愛がられてはいたけれど、やっぱり何かルール違反(二階でどたばた暴れるとか大声を出すとか)をすると叱られていました。この小さな“ろおじ”コミュニティで、なんで年寄りたちが一番偉くて、子どもは一番下の身分なんだろうか、私も早く年を取って偉くならなければ!と、小さいながらに思ったものです。

いまから考えれば、“ろおじ”のおじいちゃんやおばあちゃんは、他人の子どもを遠慮なく叱る人たちでした。

個人の不機嫌な感情で叱るのではなく、小さなコミュニティのルールを遵守し、そこから逸脱しがちな子どもがいれば叱って教育してくれていたのでした。彼らのイニシエーションというか教育を受けてきた私は、お陰様でどんなところでも何とかやっていく術を身につけたような気がします。

佐藤愛子さんのベストセラーエッセイ『九十歳。何がめでたい』を読み返していると、佐藤さんが祇園にいたおじいちゃんやおばあちゃんのように思えました。

現在97歳の佐藤愛子さんのエッセイ『九十歳。何がめでたい』は、2016年まで雑誌に連載していたエッセイの単行本。なんと128万部突破のベストセラーとなり、今年(2021年)になって出版された文庫本も、Amazonでベストセラー1位になるほどの人気です。

佐藤さんのエッセイを読むと胸がすっとするのは、いまの社会の不条理な状況を痛快に叱り飛ばしてくれるから。上がり込んできても金を使っているものにしか興味がない不用品回収業者の若者にお説教をし、冷蔵庫で三日目を経過しても捨てられない西瓜を無理矢理食べさせる(「悔恨の記」)。愉快この上ない、闘う女性なのです。

いいなあ、こういう老女になりたいよ。そうか、小さい私が目指していたのは、こんな生き方だったのかもしれません。

 

『九十歳。何がめでたい』

著 者:佐藤愛子

出版社:小学館 

ISBN:9784093965378

小学館特設サイトhttps://www.shogakukan.co.jp/pr/medetai/

この記事をSNSでシェアする

関連記事

阿部 勤『中心のある家』

建築好きな人の間では知らない人はいないという、建築家 阿部 勤さんの自邸「中心のある家」。本書はその...