熊本へ本格移住しました—The View From 80’s【15】

●熊本へ本格移住しました

 

熊本へ引っ越して2ヶ月が経ちました。

今年の5月半ばのこと。熊本県・阿蘇と神奈川県・横浜の住まいにわかれて住んでいる私たち夫婦に、一人娘から「一緒に一ヶ所に住むように」との提言がありました。82歳になった私たちは、その意見に従うことにしました。「阿蘇に住むか? 横浜に住むか?」と夫に聞いたところ、「阿蘇に住みたい」と言いました。

「夫婦のどちらかに万一のことが起きたとき、南阿蘇村の農家に嫁いだ一人娘に東京までの遠距離介護をさせるわけにはいかない」と考えて、72歳だった10年前に、南阿蘇村の娘の家から1キロほど離れたところに空き家を手に入れてリフォームしました。

75歳の時、46年間住んだ東京・石神井公園のマンションを完全に引き払い、山の好きな主人は阿蘇の家に、都会派の私は羽田に近い横浜のマンションへ移り住みました。それから7年間の二拠点居住(阿蘇・横浜)を続けていました。私の横浜での暮らしぶりは、いままでのコラムでご紹介してきた通り。マンションの住人と親交を深め楽しく暮らししていました。

 

●熊本のマンション探しは即座に決定

 

娘家族の住んでいる南阿蘇村は、農村地帯で人口は約一万人。高齢化率は35%。公共交通は南阿蘇鉄道とバスですが、本数は少なく、阿蘇の家から乗り場までは4〜5キロの距離あります。スーパーも、車がなければ行けません。医療機関も少なく、車のない高齢者にはなかなか住みにくいところです。

私が横浜のマンションへ帰る2日前に、熊本市内の江津湖のほとりにあるカレー屋さんへ、娘が連れて行ってくれました。その時、この近辺が長年住んでいた石神井公園に似ていることに気づきました。

江津湖の周囲を囲むようなかたちで、熊本城に次ぐ観光スポットである、江戸時代からの回遊庭園・水前寺成趣園(水前寺公園※写真)があり、園内には阿蘇の伏流水が湧き出ています。江津湖は、市民の水道水の100%を天然地下水でまかなう「日本一の地下水都市・熊本」のシンボルなのだそうです。

「こんなところなら住んでもいい?」と聞く娘に、「そうね」と答えました。

そこからの彼女の行動がすごい!

その日のうちに近隣のマンションを探し出し、翌日には物件を見に行くことになりました。

見に行ったのは、西と北に大きな窓のある2LDKのマンション。

「ここでも良い?」と聞く娘に、私は「Y E S」と答えました。

 

私がすぐさま決めた理由は、

・マンション内で会う住人が、皆「こんにちは」と、見ず知らずの私たちに挨拶をしてくれたこと。

・マンションは50年前に建てられて、住人も高齢者が多いように見受けられたこと。

・そして何より、偶然出会った管理人をしている理事長さんが、とても親切だったこと。

「毎週木曜日に体操教室を開いているのでよかったら参加してください」と言われました。

 

娘夫婦はその日のうちに、このマンションを買うことを決意。ショッピング施設や医療機関にも近く、熊本城や繁華街への交通も便利なこのマンションに、私たち夫婦は住むことになりました。

 

引っ越したのは8月2日。熊本への引っ越しを決めてから2月半で、横浜の住まいを畳みました。

高齢になってからの引っ越しは、私自身はもちろん、熊本から手伝いに来てくれた主人にも、50歳を過ぎた娘にも、大きな負担となりました。

 

●終の住処を決めるのは、後期高齢者になる前までに

 

高齢の親の最後の住まいをどうするかは、多くの人が頭を悩ますところです。

長年、高齢者の住まいについて考えてきた私ですが、実体験から言うと「75歳以上の後期高齢者になる前までには終の住処を決めて備えるのが良いのではないか」というのが率直な感想です。

 

次回からは、初めての地方都市での暮らしをご報告します。

 

傘寿旅行3 安来、松江 —The View From 80’s【14】

 

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