ピアッツァベネチアの葉書絵—The View From 80’s【10】

葉書絵を始めたきっかけは、絵地図

 

もう30年も前のこと 。30数年ぶりに会う大学時代の友達に、待ち合わせ場所の絵地図を送りました。

その絵地図を見た友達に「絵心がある」とおだてられて、絵を描く気になりました。

奥様を亡くされたクライアントから「絵手紙を一緒に習おう」と誘われていたのを思いだし、葉書絵作家の清水佳代先生の門をたたきました。

もともと何か趣味を持ちたいと考えていました。条件は、かさばらないこと、手軽に出来ること、後に残されたものが処分に困らないこと。

葉書絵はこれらの条件を満たしていました。「私が死んだらこの葉書絵を喪中葉書に使って出して欲しい」と、家族にたのんであります。

旅をするときは、写真を撮るかわりにスケッチをしています。

写真のシャッターを切るのは瞬間ですが、葉書絵を描くには少なくとも5分くらいは風景をじっと見ていますので、絵を見ると当時の風景がはっきりと浮かんできます。

それを見た友人が、『建築士』という業界紙の「旅から旅絵」というコーナーに推薦してくれました。

とても人様にお見せするほどの腕前ではないのですが、2号続けて寄稿した絵と文をここにご紹介します。

 

初めての海外旅行 ローマ(イタリア)

 

1959年の夏、高校二年の私は父の勤務地であるローマに向けて一人、旅立った。

その年、南回りのヨーロッパ線に初めてジェット機が就航した。

当時のジェット機は、現在のように直行で目的地に着くというわけにはいかなかった。

羽田を飛び立った飛行機は、まず香港で給油。

その後、マニラ、バンコック、カラチ、ベイルートなどの空港で、二時間ほど給油が終わるまで待っている、といった具合であった。

24時間以上かかって、やっとローマに到着。

夜が明けたばかりの古代ローマの道アピアアンティーカを通って市内へ。

イタリア笠松と古代ローマの水道橋が続くその景色は、私の原風景となった。

その後ローマに一年住むことになり、イタリア人の友達もできた。

帰国後、何回かイタリアの友人を訪ねた。

高校生の頃には十分理解できなかったローマの偉大さを、年を重ねるごとに感じるようになった。

遺跡の持つ時の重みは、いつも私を感動させてくれる。

ピアッツァベネチア(ベネチア広場)は、ローマの七つの丘の一つカンピドリオの丘の麓にあり、フォロ・ロマーノやコロッセオにほど近い。

日陰を見つけてスケッチした。

 

(公社)日本建築士会連合会 会誌『建築士』2023年11月号 「旅から旅絵 第一一九回」 初出

 

 

「I am fine, but LONELY」—The View From 80’s【9】

 

 

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