二拠点居住の横浜のマンション—The View From 80’s【5】

二拠点居住では、阿蘇の戸建て住宅と、ここ横浜のマンションを行ったり来たりして暮らしています。

75歳で横浜に引っ越してきてから丸5年、あっという間に過ぎてしまいました。

「羽田空港から近いところに引っ越してほしい」と娘に言われてから10年が経ち、もうこれ以上引き延ばしたら引っ越しができなくなると、後期高齢者の入り口で決意しました。

2018年末のことです。

横浜のマンションに一目惚れ

羽田空港に近い場所への引っ越しを決意して、46年間暮らした練馬区のマンションは売れはしたものの、引っ越し先が見つかりません。

小さい頃、よく父に連れられて遊びにきていた横浜なら多少の土地勘もあるので、そのエリアでマンションを探していました。

そこで偶然、現在のマンションに出会って一目惚れ。

築40年以上のヴィンテージマンションと呼ばれるマンションでしたが、構造もしっかりしているし、管理も行き届いています。

なにより、住民に愛されて、丁寧に手入れされているのがよくわかりました。私は、こんな風に「時」と「人の手」を経たものが好きなのです。

どうしてもこのマンションに住みたかったので、仮住まいして空室が出るのを待ちました。

マンション内で賃貸のお部屋が出たので、まずはそこに移りました。11階で2DKの部屋は、見晴らしがよいけれど、地震でエレベーターが止まったらアウトです。5階以下の空き物件が出るのを待ちました。

望めば叶うもので、それから10ヶ月ほどで、2階の2LDKのお部屋を購入することができました。

高齢のご婦人が一人で暮らしておられたそうですが、認知症がひどくなり施設に移られたとのことでした。

「帰りたい、帰りたい」とおっしゃるので、2年間手放すことができなかったけれど、もうどうしても戻ることはできないと判断して、売ることに決めた、とご子息が話しておられました。

楽に暮らすためのリフォーム

部屋は、足の悪い私が楽に暮らせるようにリフォームしました。

独立していたキッチンをリビングスペースに移し、元キッチンの場所をゲストルームにしました。

阿蘇に住むことを選んだ主人が、横浜に来た時の部屋でもあります。

横浜のリフォームの話は、『婦人公論』などのいくつかのメディアで紹介いただきました。

婦人公論 バリアフリー建築の先駆者が、75歳で住まいをリフォーム!キッチン、トイレ、リビング…長く暮らせる設計のコツ

MAJOR7  3Rとバリアフリーにこだわった一級建築士吉田紗栄子さんのヴィンテージマンションライフ

ケアリングデザインのYouTubeチャンネルでも少しご紹介しています。よかったらご覧ください。

 

ここに移って、つくづく思いました。

歳をとってからの住まいには、まわりの環境と住まいのバリアフリーは欠かせない、と。

ここは駅から近いし買い物も便利。医療機関や役所なども徒歩圏内にありますし、ひとりでどこでへも出かけられます。

車がないとどこへも行けない阿蘇には、3週間もいると帰りたくなります。

いまも、ここ横浜で、できるだけ自立した暮らしを続けられるようにがんばっています!

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