フィンランドの夏

*夏の終わりのフィンランドから、便りが届きました*

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フィンランドの夏は高緯度にあるため、白夜、6月の夏至祭を中心に前後1−2ヶ月、合わせて3ヶ月あまりであろうか。“7月は死んでる月よ”と、5月になって大学の冬学期が終了し始める頃、我がプロフェッサー、マリアがいった。その意味がよくわからないままに、夏に突入。大学の講義は、夏期間ほとんどなく、学生は思い思いに帰国したり、帰郷したり、サマーヴァケーション、サマージョブの話に盛ん。そのうち大学のスタッフ達も一人消え、2人消え、夏至祭を過ぎると、学内がほんとにガランとしてしまった。フィンランドでは有給休暇の夏休みを取るのが当たり前のようで、あるスタッフは毎年2−3週間ノルウェィーのフィヨルドトレッキングに挑戦していて、いつかは海岸線を貫徹するなどといっている。タンペレ市の高齢者グループホームのスタッフたちも、もちろんのようで、今年はどのくらいの期間の夏休みをとるのか、とれるのかが、会話の話題の中心であった。勤務年数に応じて、日数が延びるようで、20年以上勤めているヤリは“3ヶ月だよ、今年は”と、ニコニコしていた。ほんとうに6月に入ったら、顔を見ることはなくなり、それが9月になって、はげ頭もかわらず、陽気な笑顔で戻ってきた。3ヶ月何をしていたの?どこへいったの?と尋ねると、基本的には家のまわりでのんびりしていたそうだ。再婚していて、奥さんの連れ子のまだ小、中学生の2人の子供と遊んでいたよ。

4週間の有給休暇のあるヤーナは、それを1週間、2週間、1週間の3回に分けて取り、家族との時間、郊外の湖にあるサマーカッテージでの時間と楽しんだようだ。その間会社員のヤーナのご主人は6月半ばから8月一杯が夏休みで、ほとんどそのサマーカッテージで過ごしていたという。10年前に購入した彼らのサマーカッテージは、元は木材会社の社員住宅で、3世帯用の大きなもの。これを、少しづつ自分で、友人や息子達の手を借りながら、手直ししていて、今では、その母屋の他に、馬屋をサウナとバーカウンターもあるリクレーションスペースに改築。今年はあいにく、ちょっと寒かったが、ヘルシンキなど他の地域に住む友達達が集まり、私も加えてもらって、広い庭でマッカラ(ソーセージ)を焼き、ビールとコニャック、ウォッカを空け、ちょうどその頃のサッカーワールドカップをTVで応援したのだった。

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一人、フィンランドに来て、高齢者ケアを探るなどと張り切っている私。さて、大学の講義受講、レポート提出、テストも終わり、この夏は、社会福祉、健康福祉政策についてフィンランド行政の関連部署やアルツハイマー協会、またできればタンペレ市以外の高齢者グループホームなど見学、インタビューして回ろうかなどと、思っていた。ところが、プロフェッサー マリアの言葉を実感することになってしまった。行政機関でさえ、スタッフは夏休暇中で、アポイントメントのリクエストをしても、できれば、8月の終わり、9月に入ってからにしてくれませんかとの返事ばかり。

うーん、これがヨーロッパなのだ。大学でも、会社でも競争が激しく、有給休暇なんて取らないことも多いアメリカとも全く違うなーと。それで、私も、高齢者グループホームには、ほとんど毎日通いはしたが、湖でのスイミングや森のハイキングに、過ごしてしまった夏でした。

ところで、タンペレ市の高齢者グループホーム、夏期間、次々と休暇をとるスタッフにうろたえもせず、夏期間スタッフを多数採用していて、全く問題はありませんでした。やっぱりヨーロッパ文化は違うのかなとも、またまた考えてしまいました。

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